中3で「奥の細道」をやっていて、たまたま本棚に文庫があったので見ていたら、赤ペンで、書き込みが、
祖父、俳号を金坂翆里といいしこと母より聞きけり
と。
奥付を見ると、「昭和63年 第35版」とある角川文庫だった。
まったく記憶にないが、昨年8月に亡くなった母と、この本を巡って、
「おじいさん(金坂智・かねさか あきら)も昔は俳句をやっていて、俳号を翆里(すいり)と言ったのよ」という会話があったらしい。
ボクの覚えているじいさんは、ボーッとしていて、暇があれば草むしりをしている姿しかないから、意外だった。二宮本郷村の村会議員もしていたらしいが。江戸時代は、本百姓だったらしい。
水戸黄門は、俳号を「梅里(ばいり)」と称したらしいから、草深い田舎=翆(みどり)里(さと)として、「すいり」としたのだろうか?
まったく、30年ぶりにびっくりする過去に出会った。