「鎌倉殿・・・」と「南総里見八犬伝」

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こんばんは!茂原市の進学塾好学舎&青葉予備校です。

昨日、今日と寒いですが、雨の中、庭に季節外れのテッポウユリが咲いています。

長生き(?)していると、時にブッタマゲルことがあるものです。

学校の職員室で斜め前に席のあるA先生(女性)。旦那さんはたまたま前任校で一緒でした。

前任校では終えると、ロッカールームで白衣を脱ぎ、スリッパと靴を履き替えて帰ります。

そこで、ちょうど昼休みにあたりますから、B先生(旦那さん)とC先生がテーブル(運動部の先生などがスポーツバッグなどを置くため)の椅子に腰かけてよく世間話などをしていました。

「ほんとうに仲がいいなぁ」

と思っていたのですが、あるとき、

「お守りなんてご利益ないよ」

「売っている人がそんなこと言っちゃいけないでしょ」

みたいな話をしているのを聞いたことがあって、昨日A先生に、

「つかぬことをお聞きしますけど、ご主人のご実家は神社仏閣とか、何か縁起物を売る商売とか、そういうことをなさっているのですか?」

と、理由もつけてお聞きすると・・・

何と本当に神社の神官も兼任(?)されていて、千葉氏の一族だと。

家に帰ってそんな話をすると、御朱印集めが趣味な家内が、

「そこって、御朱印ないの?」

「そこまでは聞かなかった・・・」

と答えると、さっそくスマホで調べ始めました。

すると、千葉之介平常胤から話がはじまっていた。「鎌倉殿の十三人」で絵が描かれていた1194年の富士山でのお狩場に行くのに、常胤の子が祈願するとご利益があったことで、その子(つまり常胤にとっては孫)が神官となってその神社がつくられたとある。

さらに、室町時代になって、千葉氏の一族の馬加(まくわり)(現在の幕張の語源となった)にまで話がとぶ。

馬加氏は、本家の千葉氏を滅ぼして馬加城に拠って勢力を広げたと。

滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」で、敵役として「馬加大記」という人物がでてくる。

もちろん物語では、八犬士の活躍で里見氏が勝つのだが・・・。

なんとも由緒正しい話ではないか。

少なくともうちは亡くなった伯父が江戸時代まで調べて、本百姓だったことがハッキリしているが、鎌倉時代、室町時代にまで遡って先祖のゆわれがハッキリしている人はあんまりないじゃなかろうか。と。

さて、中学校の第5回実力テストも近づいてきました。

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